セリフの考察というのは、総じて野暮になりがち。
書いてる本人の考えが全面に出たり(自分のように都市伝説の話になるとか(^^;)、解説すると面白みがなくなるとか。
とくに、かっこつけたがるケニーのセリフなんぞ、本人は嫌がるでしょうね。
でも書きたいので、、ちょっとだけお許しを。
「みんな何かに酔っぱらてねぇと、やってらんなかったんだな…」
今なら奴のやったこと… わかる… 気がする…
俺が…見てきた奴ら… みんなそうだった…
酒だったり… 女だったり… 神様だったりもする
一族… 王様… 夢… 子供… 力…
みんな何かに酔っ払ってねぇと やってらんなかったんだな…
みんな何かの奴隷だった… あいつでさえも…
69話「友人」
言わずと知れたこのセリフ。
なぜ、このセリフが心に来るのか?
たぶん、「何かに酔っぱらってないとやってらんないよね」。ストレス社会だし。
ていうようなところが共感しやすいのかなと。
それも確かに分かるし、「何かにすがってないと生きられない人間の弱さ」っていうのはある。
でもね。ケニーが言いたかったこと、感じたことは、果たしてそこだけだったんでしょうか??
いいえ、違うと思います。
このセリフを放ったケニーの心情。
彼の死に際のセリフに自分が感じたのは、むしろ「解放感」です。
それはおそらく、彼がリヴァイに注射器を渡した理由につながっている。
彼のセリフの意味と心情を、その人生から追っていきたいと思います。
ケニーという人物ーその人生の目的
![](https://kabenaka.com/wp-content/uploads/2019/11/69-5-e1573086338296.png)
憲兵様になってから。このいかれ具合がいい
人物像
出身は分からないが、リヴァイと出会った時は地下のスラム街で生活していた様子。
アッカーマン家であるがゆえに迫害され、レイス家の手下(憲兵)を殺害してきた一匹狼。
「切り裂きケニー」の異名を持つ。
妹クシュルは地下街の娼婦として亡くなる。
彼女の息子であったリヴァイを引き取り育て、その成長を見たうえで彼から去る。
力さえありゃいいんだよ
少なくとも妹みてぇな最期を迎えることはねぇだろうからな
69話「友人」
「暴力がすべてだった」彼の人生。
それは、生き残るためにどうしても必要なものだった。
友人ウーリとの出会い
そして、アッカーマン家迫害の元凶であるレイス家に。
そこで後に友人となる、ウーリと出会うことになる。
![](https://kabenaka.com/wp-content/uploads/2019/10/69-2-e1572703899581.jpg)
69話「友人」
ケニーの「友人」はウーリが最初で最後だろう。
「あれほどの力を持った王が、下賤を相手にこうべを垂れやがる」。そのことに衝撃を受け、ウーリの元に下る。
そもそも、「今思えば一族の恨みなんて大して感じてなかったのかもしれない」。
彼は別の何かに動かされていた。
アッカーマンの力に目覚めていたケニー。おそらく生き延びるだけなら、もっと別に道があったはず。
彼は何かを探していたように見える。力以外の何かを。
ケニーが生涯探し求めていたもの
彼がウーリに惹かれたのは、ウーリが力ではない「何か」を持っていると無意識に感じたからだろう。
彼が巨人の力を求めたのも、それが知りたかったから。
こんな風に言ってはいたが‥。
調査兵団の対抗組織なんて大義名分 俺が考えた建て前にすぎねぇ
そりゃあすべては 大いなる夢のためだ
しかし彼が本当に探し求めていたのはこれだった。
神にも等しい力だ
それを手にした奴はみんな慈悲深くなっちまうらしい
こんなクソ野郎でもそうなってしまうのか
知りてぇ…
いったいどんな気分なんだ?
そこから一体どんな景色が見える?
69話「友人」
彼はただ、ウーリが見ていた景色を見たかった。
自分が見てきた「力」で支配する以外の、「愛だの平和だのほざいている」奴が見ている景色を。
「みんな何かの奴隷だった」の解放感
でも最後に、そのウーリも「何かの奴隷だった」と気づいた。
ウーリの場合、「わずかな人類の黄昏に楽園を築き上げる」ために生きていた。それゆえの慈悲深さ。
たとえば、それが彼が生きる上での支えだった、と感じたのかもしれない。
*ただし、特にアニメではアルミンの「夢」はこれらとは違う自由として描かれているように思う(「白夜」の時)。
ケニーはここで落胆してもおかしくはない。探してた答えがそこにはなかったのだから。
でも、ケニーはそれに気づいて、むしろ吹っ切れたように見える。
彼が注射器をリヴァイに渡したわけ
そして、それが最後の選択につながった。
彼の死に際の言葉と行動。
俺…は… 人の…親には なれねぇよ
そして注射器をリヴァイに。
「親にはなれねぇよ」と言いつつ(これはこれで事実だっただろうが)、彼自身が生き延びることを優先せず、リヴァイに託した。
たしかに巨人化しても「始祖」は手に入らないのは分かってたし、もともと情はあったケニーらしい、と言えばそれまでだが。
ただ、それができたということは、彼が「力の奴隷」であることから、最後に解放されたということ。
言うなれば、その最後の瞬間に、彼は「何かの奴隷」ではない景色を見ることができたのではないか。
それはウーリの見たものとも違ったかもしれない。
でもそれこそが、彼がずっと見たかった景色だったのではないか…と、そう思うのです。
コメント
ケニーの最後のセリフは、現在の自分、周囲の人々と置き換えて考えることが、ありますが、なんとなくわかるような気がするけどなんかよくわからんような、時々思い出しては、考える深いようなそうでもないような
ケニーは、カッコいいわ
人生クソだと酒女宗教と酔わなきゃやってられないは同感