進撃の巨人ー名言。ケニー「みんな何かの奴隷だった」の”解放感”

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キャラクター考察

セリフの考察というのは、総じて野暮になりがち。

書いてる本人の考えが全面に出たり(自分のように都市伝説の話になるとか(^^;)、解説すると面白みがなくなるとか。

とくに、かっこつけたがるケニーのセリフなんぞ、本人は嫌がるでしょうね。

でも書きたいので、、ちょっとだけお許しを。

 

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「みんな何かに酔っぱらてねぇと、やってらんなかったんだな…」

 

今なら奴のやったこと… わかる… 気がする…

俺が…見てきた奴ら… みんなそうだった…

酒だったり… 女だったり… 神様だったりもする

一族… 王様… 夢… 子供… 力…

みんな何かに酔っ払ってねぇと やってらんなかったんだな…

みんな何かの奴隷だった… あいつでさえも…

69話「友人」

言わずと知れたこのセリフ。

 

なぜ、このセリフが心に来るのか?

たぶん、「何かに酔っぱらってないとやってらんないよね」。ストレス社会だし。

ていうようなところが共感しやすいのかなと。

それも確かに分かるし、「何かにすがってないと生きられない人間の弱さ」っていうのはある。

 

でもね。ケニーが言いたかったこと、感じたことは、果たしてそこだけだったんでしょうか??

いいえ、違うと思います。

 

このセリフを放ったケニーの心情。

彼の死に際のセリフに自分が感じたのは、むしろ「解放感です。

それはおそらく、彼がリヴァイに注射器を渡した理由につながっている。

彼のセリフの意味と心情を、その人生から追っていきたいと思います。

 

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ケニーという人物ーその人生の目的

 

憲兵様になってから。このいかれ具合がいい

 

人物像

出身は分からないが、リヴァイと出会った時は地下のスラム街で生活していた様子。

アッカーマン家であるがゆえに迫害され、レイス家の手下(憲兵)を殺害してきた一匹狼。

「切り裂きケニー」の異名を持つ。

 

妹クシュルは地下街の娼婦として亡くなる。

彼女の息子であったリヴァイを引き取り育て、その成長を見たうえで彼から去る。

 

力さえありゃいいんだよ

少なくとも妹みてぇな最期を迎えることはねぇだろうからな

69話「友人」

「暴力がすべてだった」彼の人生。

それは、生き残るためにどうしても必要なものだった。

 

友人ウーリとの出会い

そして、アッカーマン家迫害の元凶であるレイス家に。

そこで後に友人となる、ウーリと出会うことになる。

 

69話「友人」

ケニーの「友人」はウーリが最初で最後だろう。

 

「あれほどの力を持った王が、下賤を相手にこうべを垂れやがる」。そのことに衝撃を受け、ウーリの元に下る。

そもそも、「今思えば一族の恨みなんて大して感じてなかったのかもしれない」。

彼は別の何かに動かされていた。

アッカーマンの力に目覚めていたケニー。おそらく生き延びるだけなら、もっと別に道があったはず。

彼は何かを探していたように見える。力以外の何かを。

 

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ケニーが生涯探し求めていたもの

彼がウーリに惹かれたのは、ウーリが力ではない「何か」を持っていると無意識に感じたからだろう。

彼が巨人の力を求めたのも、それが知りたかったから。

 

こんな風に言ってはいたが‥。

調査兵団の対抗組織なんて大義名分 俺が考えた建て前にすぎねぇ

そりゃあすべては 大いなる夢のためだ

 

しかし彼が本当に探し求めていたのはこれだった。

神にも等しい力だ

それを手にした奴はみんな慈悲深くなっちまうらしい

こんなクソ野郎でもそうなってしまうのか

知りてぇ…

いったいどんな気分なんだ?

そこから一体どんな景色が見える?

69話「友人」

彼はただ、ウーリが見ていた景色を見たかった。

自分が見てきた「力」で支配する以外の、「愛だの平和だのほざいている」奴が見ている景色を。

 

 

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「みんな何かの奴隷だった」の解放感

 

でも最後に、そのウーリも「何かの奴隷だった」と気づいた。

ウーリの場合、「わずかな人類の黄昏に楽園を築き上げる」ために生きていた。それゆえの慈悲深さ。

たとえば、それが彼が生きる上での支えだった、と感じたのかもしれない。

*ただし、特にアニメではアルミンの「夢」はこれらとは違う自由として描かれているように思う(「白夜」の時)。

 

ケニーはここで落胆してもおかしくはない。探してた答えがそこにはなかったのだから。

でも、ケニーはそれに気づいて、むしろ吹っ切れたように見える。

 

彼が注射器をリヴァイに渡したわけ

そして、それが最後の選択につながった。

彼の死に際の言葉と行動。

俺…は… 人の…親には なれねぇよ

そして注射器をリヴァイに。

 

「親にはなれねぇよ」と言いつつ(これはこれで事実だっただろうが)、彼自身が生き延びることを優先せず、リヴァイに託した。

たしかに巨人化しても「始祖」は手に入らないのは分かってたし、もともと情はあったケニーらしい、と言えばそれまでだが。

 

ただ、それができたということは、彼が「力の奴隷」であることから、最後に解放されたということ。

言うなれば、その最後の瞬間に、彼は「何かの奴隷」ではない景色を見ることができたのではないか。

それはウーリの見たものとも違ったかもしれない。

でもそれこそが、彼がずっと見たかった景色だったのではないか…と、そう思うのです。

コメント

  1. ケニーの最後のセリフは、現在の自分、周囲の人々と置き換えて考えることが、ありますが、なんとなくわかるような気がするけどなんかよくわからんような、時々思い出しては、考える深いようなそうでもないような

  2. ケニーは、カッコいいわ

  3. 人生クソだと酒女宗教と酔わなきゃやってられないは同感