進撃の巨人「ループ説」はない。否定の根拠とこの物語のループの意味

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「進撃の巨人」考察

さてこのブログ。「大人の」とかつけてハードル上げて、予想外すのイヤだなあと思いつつ。

予想もなるべく当てには行ってますが、深めなテーマを考察して楽しむのが、いちおう主目的です。

 

というわけで今回は、進撃の巨人と言えばの「ループ説」

自分はループ説には、率直に言ってかなりの違和感がありました。

こいつは「マブラヴ」あたりから出てきやがった😅

 

要するに。

もっといろいろ考えさせられる話なのに、なんでそこばっかり?というのがちょっと不満だったのですね。

物語の面白さ、奥深さから離れてる感じがして(なら自分で考えたことを、もうちょっと書いちゃえと)。

 

というわけで。

ループ説はあり得ないと思うけど、一方で、進撃の巨人のテーマは間違いなく「ループ」でもあると思っています。

そういう考察です。

 

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進撃の巨人における「ループ説」とは

 

おおむね、これを指していることが多いようです。

ループものは、タイムトラベルを題材としたSFのサブジャンルで、物語の中で登場人物が同じ期間を何度も繰り返すような設定を持つ作品のこと。

ーWikipedia「ループもの」よりー

 

つまり、過去に戻って時間をやり直す話である、という説ですね。

時々、同じような歴史を繰り返す「憎しみのループ」という意味が混ざっているものも見かけます。ここは重要だと思いますが、分けて考えないと意味が全然違います。

 

以下がループ説の証拠として、よく出てくるもの。

1.「いってらっしゃいエレン」が過去からやり直すエレンに向けたミカサのセリフ。

2.「ミカサの頭痛」がエレンやアルミンが死ぬ世界からループし、やり直しているサイン。

3.クルーガーの「ミカサやアルミン~」。

 

とりあえず、3.は「進撃の巨人の能力」でループでないことが判明しました。

1.と2.も根拠になるようなものではなく、可能性くらい。ここはあとで考察します。

ミカサがループ発動しまくって、最後に「はい最初からね。いってらっしゃい」だったら・・・別の意味で残酷な世界だ(;^ω^)

 

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「ループ説」考察ー否定の理由

 

というわけで、まずは「ループ説」について考察。あらためて否定の根拠をあげてみます。

感覚的には、「そういう話ではない」(‘◇’)ゞの一言に尽きると思うのですが、そこをなんとか言語化してみる。

 

1.物語の現実設定と合わない

フィクションには、その物語におけるリアリティのあり方が設定されているもの。

たとえば、時代背景や登場人物の世界観、現実的なのかどうかやその世界のルール。

進撃は、ここがしっかり考えられている作品であるのは、言うまでもないでしょう。

その中でこの話が、時間を戻してやり直せるような設定になっていそうか、ということで、、それは「ない」だろうと思います。

 

むしろ、「選択」の重さや「現実の残酷さ」が強調されるこのストーリーで、時間を戻しての「やり直し」のような要素が入る余地は全くない、と感じます。

エルヴィンの死はやり直せるのでしょうか?リヴァイ班は?

エレンが選択した地ならしが世界を滅ぼしたら、やり直して違う選択に出来るのでしょうか?

あるいは、ミカサがループして(?)、正解を選んできた物語の中で、彼らは死なざるを得なかったのでしょうか?

さすがに、これはあり得ないと思います。これまでのキャラクターの葛藤・選択をすべて台無しにするでしょう。

大丈夫です。ミカサがループしてきっと理想の結果にしてくれます(^^;ということになっちゃいそう

 

細かい根拠の前に、まず全体的に見てそういう話じゃないだろうってことですね(当然「やり直し」要素のある作品がいい加減という話ではない)。

シミュレーションゲームのような世界ではないし、仲間を救うためにミカサの意識が時空を越えての黒幕で動いてる話でもないと。

 

ただその一方、始祖ユミルは時空を超えて、自由への意思をエレンに託し、その結果エレンは地ならしを起こすところまで来た・・似てはいますね。似てはいるけど全然違う。彼女がループしてやり直してる話ではない。

でも自由になってやり直したい、と願ったかもしれない。その違いですかね。

つまり「精神世界は時空を超える」ということ。

よく、高次元では過去も未来もないと言いますね。実際そうだろうと思いますし、その「人間の現実設定」に合わせた、意外と現実的な設定だと思います。

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2.「道」と「進撃の巨人の能力」でほぼ説明がつきそう

この2つで、ループとも解釈できた部分は、かなり説明がつくようになりました。

 

クルーガーの「ミカサやアルミン~」は、進撃の巨人の能力による未来の記憶。

ミカサの頭痛はまだ未解決ですが、これも、自分的には未来も含む「記憶」につながりそうな時に発生するものでは?と考えています(123話でユミルの民の道につながることも明らかになったし)。

トラウマ的な場面が多いのは、彼女の記憶に残りやすい出来事だったという見方です(未来の体験として道に記憶データがあるのでは?)。

 

 

残るは、「いってらっしゃいエレン」の謎と、表紙問題くらいでしょうか。

正直、表紙は本編ではないので、そもそも内容とどれだけ関係してるかも疑問なのですが、確かになんかあるようです。

個人的には、こういう道もあり得たかもね、くらいの遊びかなという印象です。

あまりちゃんとした考察ではないけど。。表紙にIFの世界があったとしても、ループが可能な話とは言えないでしょう。

*追記。てか、ふつうにネタバレ回避かな。

 

あとは「いってらっしゃい」。ここが、まだ謎ではあるけど、やはり未来の記憶の可能性が高いんじゃないかな。

「いってらっしゃい」がループで、エレンが絶望のラストから戻ってきたとして、そのまま同じことを繰り返したら無限ループです。夢オチにも等しいその可能性は、ほぼないでしょうし、別の世界(全く描かれてない)でやり直すという話でもないでしょう。

つまりは、記憶は過去未来に行き来しても、肉体を持ったまま過去や別の世界には行けないかと。

 

別の世界が「座標」なら、十分可能性はありそうですけどね。

始祖ユミルを解放し巨人を終わらせるために、座標に「いってらっしゃい」はあり得るかも

 

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進撃の巨人における「ループ」の意味

 

ではループ説がないとして(ここまで言ってあったら笑うしかないけど、きっとないだろう。という大方(ではないか)の予想を超えてあったりして💧)、この話において、どんな「ループ」ならあり得るのかを考察。

一言で言えば、「やり直し」でなく「繰り返し」というループ

 

1.「憎しみの連鎖」というループ

やはり、まずこれになると思います。

エルディアとマーレの争い⇒(偶然に巨人の力を得た)エルディア帝国による侵略と支配⇒マーレの逆襲とユミルの民への差別・排斥。

それがパラディ島への攻撃につながり、エレンの「駆逐してやる」に。

この憎しみのループと、そこからどう脱するか、というのは大きなテーマでしょう。

リアルな問題ですね。

 

憎しみのループから抜け出すカギ

進撃の中では、実際に戦争によって殺す殺されるだけでなく、国単位での洗脳、そして「親から子への教育」によって、憎しみが刷り込まれるという現実がよく登場します。

子どもの立場からすれば、抗いようのないことですが、親の立場からしたらそれなりの理由があったり、自分がされたことを繰り返してるだけかもしれない。

ここをどう断ち切るか、ということ。

 

このヒントは、作中にいくつか出ていますね。

娘を殺したガビを許したサシャの父親。

せめて子供たちはこの森から出してやらんといかん

そうやないとまた同じところをぐるぐる回るだけやろう…

111話「森の子ら」‥そう簡単には言えないセリフだよね

 

また、敵国の人たちと接することで洗脳に気づいたガビ。

私達は…見たわけでもない人達を全員悪魔だと決めつけて

飛行船に…乗り込んで…

ずっと同じことを… ずっと同じことを繰り返してる…

118話「騙し討ち」‥経験しないと分からないことは多い

 

そして、ジークの時は自分の復讐心を強いた反省から、エレンを愛したグリシャ。

ただ、その愛されて育ったエレンが、愛ゆえに仲間のために世界を破壊しなくなてはならないというのは、業が深いというかより厳しい宿命。

解放のカギは、やはりその仲間になりそうだとは思うが。。

 

2.「宿命」というループ

エレン自身はもう憎しみに囚われているわけではないでしょう。

しかしながら、「進撃の巨人」を継承するという宿命によって、仲間を守るために世界を破壊する選択に至った。

それは元をたどれば、始祖ユミルの「自由に生きたかった」という願いであり、エレンはその願いを完結させるために、宿命に沿って動いているようにも見える。

123話「島の悪魔」

 

それは「心残り」による宿命というループ(時を越えての繰り返し)であると言える。

この人間の「宿命と自由意志」こそが、個人的には進撃のメインテーマ。それを表現するための「未来の記憶」かなと思っている。

 

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進撃の巨人のループの本当の意味は、人類の「破壊と再生」のループ?

 

「ループもの」でもそうでなくても、結局その設定は、作者が表現したいものの「器」に過ぎない。そこに入ってるものが何なのか、というところ。

そういう意味では、「繰り返しのループ」からの解放。あとはやはり「宿命と自由」ではないか。

「自由を求める宿命」の進撃の巨人が、宿命のループから解放されるのか。どこまで自由を得ることができるのか、が一つの注目点だと思っています。

 

さらに言えば、この問題と「神・創造主」は密接にからんでいるでしょう。

単に設定でそれらが出ているような話ではないですね(自分の妄想かもしれませんが)。

 

つまり、進撃の巨人は、人間の自由意志があり得るか、宿命からの自由は可能か。もっと突き詰めて言えば、人間は創造主たり得るか、っていう話につながると個人的には思っている。

生命の創造主をあらわす神「オニャンコポン」

 

いきなりぶっ飛んだように聞こえるかもしれないけども、世界を形作ってるのは、突き詰めると人間の意識ですね。

(ただ、その意識は「潜在意識」も、もっと深いところも含めて意識なので、コントロールが効きにくいというだけだろうとー今風に言うと「引き寄せ」)。

 

その意識によって作り出された世界。それが理想通りにいかない、あるいは争うしかなくなるのは、人間てそういうものなのか、まだそこまで達していないだけで可能性はあるのか、という。

西洋的な観点で言えば「神」を中心とする世界から、「ヒューマニズム(人間中心主義)」の世界へ移り変わっている現代。そのヒューマニズムがもたらすものが、(究極的には)理想の世界か破壊かという問題。

ちょっと話が大きくなりましたが。

 

いっそ大きいまま神話的にとらえれば、人類の「破壊と再生」のループ

これこそが「進撃の巨人」、そしてもしかしたら「私達」が向き合っているループの本当の意味、ではないかと思っています。

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